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生老病死と向き合う あなたのそばに
日蓮宗新聞 令和元年6月20日号
「死んでほしくない」と伝える理由
吉田 尚英

僧侶も一緒に真剣に悩み、道を探します

 私が所属している「自死・自殺に向き合う僧侶の会」では、会員の僧侶約50人に、「『死にたい』と訴える人に『死んでほしくない』と伝えるのはどうしてですか?」と問いかけをしました。
 その回答を大まかに分類し、主だった意見を紹介します。

◆生きる力を信じたい
◇今の苦しみを乗り越えさえすれば、死なずに済むかもしれない。
◇「死にたい」という言葉の裏に「生きたい」という意志がある。
◇「1人ではないよ」というメッセージを伝えたい。
◇生きる方策を探ってほしい。

◆縁がつながったから
◇死にたいほどの悩みを打ち明けてくれた「縁」を大事にしたい。
◇信頼関係があるからこそ、自分に相談したのだろう。

◆遺される人のために
◇遺された人たちの悲しみの深さははかりしれない。
◇遺された人たちに負の連鎖が広がるのを避けたい。

◆いのちは大切だから
◇縁があって生まれたのにもったいない。
◇いのちの処し方について自分で決めるものではない。
◇いのちは大切だと一方的に仏教的価値観を押し付けても伝わらない。

◆葛藤がある
◇「死んでほしくない」と定型句になってしまうと、それがときに白々しく、感じてしまう。
◇やむを得ない選択・決断であると理解できた場合、生の世界に繋ぎ止めるには「私は死んでほしくない」という理由しか残らないのでは?
◇苦しみが永遠に続くとしか考えられない場合、その人の選択を尊重したくなる。
◇自分が関わった人が死ぬことで傷つきたくない。
◇「あなたに救われた」と言ってほしい。それは私のエゴだろうか?

 『死にたい』という究極の訴えに対して、僧侶たちも相談者とともに、真剣に悩み、迷いながら道を探しています。
 「自死・自殺に向き合う僧侶の会」では手紙相談をしています。自死に関するお悩みがあるならば下記へ。
(日蓮宗ビハーラ・ネットワーク会員、自死・自殺に向き合う僧侶の会共同代表)

手紙相談『自死の問い・お坊さんとの往復書簡』
 
自死(自殺)に関する相談・質問などを手紙(書簡)で
受け付けます。(相談内容は自死・自殺に関係すること
に限らせていただきます)。あなたの“思い”を手紙に
綴って届けてください。他人にとっては些細なことでも
あなたにとっては重大な問題です。
【手紙のあて先】〒108−0073 東京都港区三田4−8−20
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