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日蓮宗新聞 平成21年5月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
55 
 臨 終 まる3

いい臨終を見せてくれた99歳の母
最後の日、寄り添う者にありがとう

 家族の臨終に際して、とまどったという人は少なくありません。人の臨終に立ち合う機会は、ますます遠のくばかりです。臨終の場所や時間、病気や事故などの死亡原因、看取られる者や、看取る者の死の受容の有無、その場に居合わせた者の間柄や年齢、価値観など、環境や条件によってその最期は、さまざまな展開を見せるものです。
 死が迫っても命が尽きるとは、本人も家族も考えていない場合があります。また、周囲はすべてを承知していて、本人は知らされず、最期に欺かれた思いを抱いて死地におもむく人もいます。逝く者が「ありがとう」「さようなら」と言えば、「死んじゃあいや」「がんばって」と叫ぶ者、「ようがんばった、よう生きた、あとのことは心配いらんぞ」と語りかける人もいます。
 私的なことを綴ります。私の母は在家から寺に嫁ぎ七十年、在宅介護五年と四ヵ月を経て、九十九歳の天寿を全うしました。医師からあと四、五日ですと告げられ、家族は意を強くして見守ることにしました。身延山で修行中の孫は休暇を願い出て、最後の一晩を祖母の手を握って夜を明かしました。
 幸いなことは瞑目する十数分前まで、ごく自然な会話ができたことです。その日の朝も休んでいるのかと目を凝らすと、口もとがかすかに動いています。その動きには一定のリズムがあり、それはすぐにお題目だとわかりました。ベッドの暮らしとなっても自我偈やお題目の声が襖越しに聞こえていました。
 死の幾日か前のことです。母はしきりに「いいかい、いいかい」と問いかけるのです。何のことかわかりませんでした。私の顔を見てとった母は、言い含めるかの如く「いいか、いついつまでも、生きているわけではないぞ」と口にしました。親の死に臨む覚悟は出来ているか、覚悟はいいのかというのです。
 いつかその時が必ずくるとはわかっていても、改めて母から問われ、一瞬たじろいだものの、ここは安心してもらうしかない、覚悟はできていないとは言えません。「うん、大丈夫だ。心配ないよ」と大きな声で答えました。そのあとは「いいかい」を口にすることはありませんでした。
 それから二、三日が過ぎ、私は思い切って、しかしさらりと「俺は、お婆さんの子で仕合わせだったよ」と告げました。母は虚空の一点を見つめたまま口元に笑みを浮かべました。
 最期の日はベッドに寄り添う者にありがとうを言い、合掌しようと点滴の右手を持ち上げる仕草を見せます。「いいよ、片手でいいよ」とうなずきながら、家族もまた手を合わせて応えました。
 目を落とす三十分程前のことです。「お婆さん、言いたいこと、言っておきたいことはある?」と尋ねると、即座に「山程ある」という答えが返ってきました。そこへ遠方から母の甥夫婦が訪れ、母子の会話は途絶えて、「久しぶりだね、元気だったかえ」という甥との話に移ったのです。
 しばらくして異変を告げる声に急いで部屋に入るともうその目は閉じ、かすかな息づかいだけです。その時がきたのだと思いました。駆け付けた医師が臨終を告げると、私はまだ温かい母に頬擦りをしました。介護に尽くした妻の「お婆さん、ありがとうございました」の声に続き、それぞれがあふれ出る思いを口にし、お題目を唱えました。それは九月の初秋の風が吹きはじめた昼下がりのことでした。
 あの覚悟を促す凛とした声と、優しく微笑んだ横顔がいまもよみがえります。山程言いたかったその一つひとつを探し続けていくつもりです。今にして思えば悔やむことの少なくない最期の日々でありました。
 母はいい臨終を見せてくれました。母のように逝きたいと思っています。老いた後の死は決して怖いことではないと考えるようになりました。そして亡き母や父と再会できる日を信じ、深い安らぎに導かれたいと思うばかりです。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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