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日蓮宗新聞 平成22年12月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
74 
 弔 う まる11

歳月流れど          
悲母の祈りは
          永久に変わらじ…

 一年にはいくつか水子の供養があり、それも若い人ばかりではありません。婦人病や家庭不和などの苦悶に触発されて、一度も供養したことがなかったと、年月の覚えも定かでない水子のために、人知れず手を合わす人もいます。
 初めてお会いする方が多く、なかには先方が私を知っていて、遠方より訪ねてくることもあります。菩提寺や近くの寺でも供養ができるのに、他人にはわからない思いがあるようです。
 水子供養の背景にはさまざまな事情があり、立ち入ってあまり深く聞くことはありません。だいぶ以前のこと、主人には内緒で来たのでくれぐれもよろしくという奥さんがいました。礼を失するかもしれませんが、考えようによってはさまざまな受取り方ができます。
 若いカップルが肩を並べて手を合わせている姿にほっとする一方、女性がひとりじっと目を伏せている姿に、やるせない思いを抱くときがあります。
 広島の産婦人科医、河野美代子先生の『さらば、悲しみの性』(高文研)を読みました。もう二十年も前に出版された本です。先生のお話は一度だけテレビで聞きましたが、どんな相談も引き受けてくれそうな素敵な女医さんでした。
 「偏見はつねに無知のきょうだいです。若い人たちが目分のなかに豊かな人間観をつくりあげていくには、性についてのたしかな認識がどうしても欠かせないと考えてこの本をつくった」と述べ、そして最後に言っておきたいとして、「性は本来、素晴らしいもの。素晴らしいものを素晴らしいものとして開花させ、成熟させるためにも、愛することについて、生きることについて、深く考え、かしこい人になってほしいと思います」と結ばれています。
 若い人にぜひ読んでもらいたい本の一つです。
 あるとき「供養しておけば、崇[たた]ることもないと思って」という言葉に、唖然としたことがあります。この人は自分のことしか眼中にない、子供の命の側に立っていない、そのことに気がついていないと思いました。水子の霊は安らぐでしょうか。このような気持ちでは真の弔い(供養)にはなりません。
 水子供養の根幹は懺悔[さんげ]の心、罪過を悔いて許しを請うことです。命を絶ってしまったことを詫びる、その心をよびさますことにあります。仏教ではよく数え年を用いますが、生まれた年を一歳ということは、母親の胎内に命の火がともったときを起点とするからでしょう。
 法華経(方便品)は、子供たちが遊び戯れて砂を集め仏塔を作ったり、草木や指の爪で仏の姿を画くことも功徳を積むことであり、やがて仏道を成ずることになると説示しています。
 水子供養の方には「ご一緒にお題目を唱えましょう。お題目で心の思いが浄められ、その安らぎが悲しみを洗います」と話し仏前に座ります。
 そして「久遠の本師釈迦牟尼世尊はまことに慈悲の父母なり、法華経読誦、御題目の功徳によりて、水子精霊、慈愛あふるる御仏[みほとけ]の膝に上[のぼ]らんことを。諸[もろもろ]の菩薩は来[きた]りて共に遊び給うらん」と回向文を言上いたします。
 手の平に納まってしまう小さなお骨箱にピンクのよだれかけを結んできた娘がいました。一所懸命お題目を唱和していましたべ恐らく初めてのことでしょう。供養が済み思いを語る涙に安らぐ光を見たのです。
 「赤ちゃんへ」と記した小さな封筒を供えていった娘もいました。香煙に薫じて目を通すと、「赤ちゃんごめんね]の書き出しで、その思いのたけがかわいらしい便箋に、心のこもった宇で綴られていました。
 もう一度ご本尊を仰いで、よき出会いと幸せを祈らずにおれませんでした。先程まで座っていたあたりに目をやりながら、まだあどけなさが浅る顔立ちと、つややかな髪、澄んだ瞳を思い起こしたのです。
 水子の供養は、母(親)がわが子の命の尊厳に思いを寄せて、弔うところ、共々に安らぎに誘[いざな]われ救われる大きな意義があるのです。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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