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日蓮宗新聞 平成23年8月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
82 
 悲 嘆 まる7
 先年のこと、初めて本格的な「能舞台」を観ました。演目は観世元雅の「隅田川」。シテ(主役)を助けるワキが渡守[わたしもり]。およそのストーリーを紹介します。


























 客を待つ渡守のところへ旅の男がやって来て舞台が始まります。渡守が「お前の来た方角は騒がしいが何かあったのか」と問えば、「女物狂[おんなものぐるい]を大勢が取りまいているのだ」との答え。物狂とは能楽で、悲嘆のあまり心の正常さを失って舞い歌う人物のことです。やがてその女物狂が笹の枝を肩に登場します。女は都の者で、人買いにかどわかされたひとり子を探して尋ね廻り、隅田川のほとりに立ったのです。
 女が舟に乗り川面を渡っていくと、向こう岸がおだやかではありません。何事かと問うと渡守は、「一年前の今日、人買いにさらわれてきた子が病になりこの地に捨てられ亡くなった。その供養に村人が集っているのだ」と、その子の最期のありさまを語ります。
 どこの誰かと尋ねられた子は「都の北白川、吉田の家の子で、父なきのち母と暮していたが、かどわかされてこのようになりました。なつかしい都人[みやこびと]が通るこの辺りに、塚をつくり柳の木を植えてほしい」と告げて絶命したというのです。まぎれもないわが子と知った女は、石のようになって舟から降りようとしません。
 この女物狂が亡くなった子の母と知って塚に誘[いざな]う渡守。「この世の姿を今一度母に見せよ」と狂乱し泣き伏す女に「母の弔いは亡き子が喜ぶ」と鉦鼓[しょうこ]を持たせます。母の念仏に塚の中の子が応えます。たまらず塚にすがりつく女の前に姿を現す白装束の男の子。女はその子を追い、抱[いだ]こうとしますが、何としても叶えることができません。わが子の幻に追いすがるうちに、夜は次第に明[あ]け初[そ]めてゆきます。
 「面影も幻も、見えつ、隠れつする程に、東雲[しののめ]の空もほのぼのと明けゆけば跡絶えて、わが子と見えしは塚の上の草茫々[ぼうぼう]としてただ、しるしばかりの浅茅[あさじ]が原[はら]となるこそ、あはれなりけれ、なるこそあはれなりけれ」と謡[うたい]が結び納めるのです。
 観客はすぐに席を立とうとしませんでした。子を失うことは、親にとって生きる希望を奪われるに等しいもの。世の母なる人はこの「隅田川」にどのような思いを抱くでしょうか。何とも哀切きわまりない無常感に打たれる舞台でした。
 能で笹を持って現れるのは決まって物狂で、風にさやさやとなる笹の葉が心の落ちつかぬさまを表します。会いたい子に会えないことで気が狂うのです。子を亡くした母であれば少なからず、こうした思いになって不思議ではありません。
 「隅田川」を観て、同じように子を亡くした母が死者なき家の芥子[けし]の実を求めて救いを得る仏典の話を想い起していました。
 ゴータミーは舎衛城下の貧しい若い母。彼女はやせていたので、キサー(やせた)・ゴータミーと呼ばれていました。わが子を亡くし「意[こころ]を失い死せる児を抱[かか]えて近隣をさ迷う」のです。さ迷うとは[隅田川]の笹の葉と同じ、それは亡き子への尽きない母の情愛であり、また愛執です。
 母は釈尊に救いを求め、わが子の蘇生を懇願します。釈尊は慈愛のまなざしをそそぎ、ややあって「汝、すみやかに市城(まち)に入り、巷の家より芥子の実を求め来たれ…]と。喜び勇んで歩み出すその背に、「されど、いまだ死者の出でざりし家より、必ず取り来たるべし」と声をかけるのでした。
 人々は芥子を与えることを少しも惜しみませんでした。しかし、「いまだ死者の出でざりし家」はどこにもなく、ひとたびは明るさを取り戻した母に再び失意が戻ります。釈尊はやさしく母を迎えると、しばらく嗚咽するさまを見守って心の静まりを待ち、「人の世は常ならず、人は死に赴き、死のためにつながるるなり…」と説かれました。ゴータミーは仏法に深く帰依し救いをいただくのです。
 釈尊が芥子を求めて歩ませたそのお心に思いを寄せてみましょう。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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