日蓮宗 ビハーラ・ネットワーク
 
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(宗報 平成16年度7月号 第196号 改訂 第28号 54頁)

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全国社会教化事業協会連合会
ビハーラ活動の現場から
妙徳教会担任 今田忠彰

 (1)初めに
 私が現在運営している「ビハーラ活動」をご紹介いたします。
 (宗)妙徳教会の関連事業として、平成15年9月に、(有)妙徳ビハーラを設立しました。(有)妙徳ビハーラが運営する事業としましては、…
@訪問介護事業…平成15年9月開業
Aケアマネージメント事業…平成15年12月開業
B訪問看護事業…平成15年12月開業
C福祉用具貸与・販売事業…平成16年3月開業
Dグループホーム(痴呆性高齢者共同生活介護)事業…平成16年4月開設
 などの各分野です。
 これらの事業を有機的に関連し、相互補完して運営しています。
 本題に入ります前に、厚生労働省が発表した、日本の長寿に関する統計 本文末の図1図2を参考にお話をしましょう。
 この統計によれば、日本は世界一の長寿国であります。女性は大体84.5歳で、男性は77.8歳です。65歳以上の人、老人介護を受ける必要がある人、年金をもらえる年、つまり70歳以上のお年寄りといわれる人は、平成16年で17.2%、つまり100人に17人の方がお年寄りということになります。これが5年後になりますと、平成21年には22%、32年は26.7ぐらい。だんだん増えていって平成62年ごろになると3人に1人はお年寄り、ということになります。
 わたしは終戦直後に生まれた団塊の世代といわれていますが、わたしが65歳から70歳ぐらいになると、今盛んに言われている年金では、賄ってもらえない時代になると思います。
 このように高齢化している日本でありますが、この日本人の死亡率は100%であります。その死亡原因のうち3分の1はガンです。次に15%が心臓病、14.7%が脳溢血、そして肺炎、老人性の肺炎であります。その後に続くのが不慮の死、自殺などです。ですから日本人は大体において、ガンか心臓病か、脳溢血、この3大疾病で死ぬのです。さらにこのほかには糖尿病か、それによる合併症により死亡するようです。
 そうるすとこの3大疾病によらない限り日本人は死なないのですから、長生きすることが出来るのは必然です。そこで老人に対する介護は大きな杜会問題になることが目にみえてくるのです。今日は、このことを前提にして、この老人介護の問題の話を進めていきたいと思うのです。

 (2)私のビハーラ活動の原点
 平成14年5月5日に、88歳で逝去するまでの9年余り、母への介護をしました。母を入居させたい施設が見つからなかったこともあり、最後まで自宅で介護することとなりました。私や家族の精神的負担も大きかったし、金銭的な負担も大変でした。
 平成12年に介護保険制度が出来ましたのでこれを利用し、家族とヘルパーさんと社会的施設とがうまく協力した介護プランを作りました。そのお陰もあって、最後の2年間程は、合理的な介護ができたと思います。
 母の逝去の後、私のライフワークとしてのビハーラ活動を展開できる、また、老人介護についての知識と経験を生かして、お寺で何か事業が出来ないものかと考えました。
 また、近くの不動産屋さんに毎年数回は依頼される、在宅独居老人の孤独死への供養の度に、在宅独居老人に対し、何か手助けができないものかと考えていました。
 そんな思いが発展して、(有)妙徳ビハーラが運営する諸事業となったのです。

 (3)『ビハーラ活動』とは
 ビハーラ活動についてご理解をいただくために、簡単にご説明させていただきます。
 ビハーラ活動とは、「医療や福祉や地域社会との連携のもとに、寺院において、白宅において、あるいは病院や施設において、病気や障害、高齢に悩む人たちと苦しみをともにし、精神的、身体的な苦痛を取り除き、安心が得られるよう支援する活動」をいいます。
 「ビハーラ」の語句の意味は、「寺院・精舎・僧房・静かにとどまる・休養の場所」などです。お寺はもともと、ビハーラ活動の現場だったことがうかがえます。
 「ビハーラ」に先がけて、我が国では一般に「ホスピス」が知られていました。当初は、「仏教ホスピス」という名称を用いていたことがありましたが、木に竹を継いだようだとの批判もあり、仏教独自の各称を求めて、新潟県長岡市の田宮 仁師によって、「ビハーラ」という名称が提唱されました。
 「ホスピス」がもっぱら病者に対するものであるのに対して、「ビハーラ」は病者・障害者・高齢者を対象にしており、幅の広い活動が期待されています。

 (4)「ビハーラ活動」の思想的根拠
 私どもが只今展開しております「ビハーラ活動」に対して、私は次のような思想的根拠を持って臨んでおります。
@法華菩薩行としての活動…ビハーラ活動は、法華経に説かれる地涌の菩薩としての代受苦の精神による、現代の法華菩薩行としての活動である。
A立正安国を実現するための活動…ビハーラ活動を展開することによって、宗祖の願行である立正安国の実現に通じる活動である。
B福田思想…ビハーラ活動は、善き行為の種を蒔いて、悟りの功徳の収穫を得る田畑としての活動であり、仏教の社会的実践の基本として展開する。
 以上の3点が「ビバーラ活動」を展開する上での思想的根拠としておりますが、ここでもう一つ基本的な点を忘れてはなりません。それは、仏教が社会に役立つ一番の活動は、「仏教を社会に弘めることである」という点であります。我々仏教者にとっては、当り前のように思いがちですが、とかく基本が忘れ去られるものであります。
 外部から見れば、一般の慈善事業や杜会事業、福祉事業と同じように見えるかもしれませんが、我々の精神は自らの信仰の発露としての活動であるという点が、大きな特色なのであります。

 (5)『法華経』の生命観
 毎日のマスコミを見ましても、現代は生命が実に軽く扱われております。この現状に警鐘を鳴らすのも我々宗教者の役割と存じますが、「ビハーラ活動」を展開する場でも、生命観を明確にしておく必要があります。
 『法華経』如来寿量品には、久遠の釈尊の生命が説かれ、我々もその生命に連なる存在であると説かれております。つまり我々の生命は、五百億塵点劫の昔から連なる永遠の生命・大いなる生命を生きている、み仏の命を生きている、生かされている、ということになります。
 我々の生命がこういう尊い生命であることを前提に、終末期医療の現場や脳死臓器移植の問題、安楽死尊厳死、代理母、遺伝子操作、などなど様々な現代的な諸問題に対処してゆく必要があります。

 (6)宮沢賢治の「デクノボー精神」から
 宮沢賢治さんは、詩人であり、童話作家であり、農業技術の研究家であり、様々な才能を持った方ですが、すぐれた『法華経』の信仰者であった点は軽視されてきたように思います。賢治さんは、法華経の教えを分かり易く説くために、多くの詩や童話を書かれたのでした。
 賢治さんの理想の姿は「常不軽菩薩」の姿でありました。
 『常不軽菩薩品』の教えによると、…
 「 尊い方々よ、私はあなた方を軽んじません。あなた方は、決して軽じられません。なぜならば、あなた方は皆、菩薩の行ないを実行して、尊いみ仏となられる方だからです。」
 「デクノボー精神」とは、常不経菩薩の具現化と言えるのです。
 また賢治さんは、自らの生命を削って、冷害に苦しむ東北の貧農の人々に尽くしました。その精神こそは、法華菩薩行であったと言えましょう。
 菩薩行には、「願生」…願って悪趣に生まれるという使命感があります。私たちの人生の最終目的は、成仏「仏に成る」ことでありますが、仏に成るために、様々な営み・修行・菩薩行があるのだと思います、賢治さんは、法華菩薩行の使命に生きた方と言えるのです。
 『雨ニモマケズ』から
 「 東二病気ノ子供アレバ、行ツテ看病シテヤリ、
南二死ニサウナ人アレバ、行ツテコハガラナクテモイイトイヒ
ミンナニデクノボート呼バレ 誉メラレモセズ苦ニモサレズ
サウイウモノニ ワタシハナリタイ」

 (7)在宅ターミナルケアの現場から
 高井勝子(仮名・70歳)さんとご主人とは、共に障害者で二人暮らしです。家族は遠方の他家に嫁いでいる娘(看護婦)さんが一人で、生活保護世帯です。
 勝子さんは末期ガンで長い入院生活が続き、闘病に疲れて、最後は自宅で迎えたいと希望されていました。
 私どもの事業所には、訪問介護と訪問看護がありますので、経費の都合で看護婦も介護に参加して欲しいとの要望があり、対応することにしました。
 平成15年9月から平成16年3月に逝去されるまでの間、チームを組んで介護しました。この様に今後は、在宅での夕ーミナルケアを希望される方が多くなるものと予想されます。

 (8)グループホームに入膳される方の事情
@家族がいない方の場合は、自身の住居を引き払って、人生の最後をおくる場として入居して来られる。
A家族がいても、在宅で介護が出来ない事情がある方の場合は、家族が介護に疲れたとか、家族に見放されたとか、家族とご自身と双方または片方に何らかの事情がある場合が多いようです。
 入居される方の現実的な状況を鑑みながら、その人らしい生き方とはどういう生活が一番良いのか、人生の終着地点まで見すえた計画作りが大切です。

 (9)在宅ターミナルケアでの問題点
@病院の診療体制の問題…3ヶ月で退院させられる現在の医療体制に問題がある。
A老人医療を担当する医療機関・介護施設が極めて少ない。
B往診診療をする医療機関が少ない。
C核家族化しているので、介護の手がない。
D訪問医療・訪問看護・訪問介護の手を増やす必要あり国家・社会の問題点でもある。

 (10)宗門への提案
 これからの寺院は、何らかの社会性を持たなければ、存在意義を失いかねない社会になってゆくだろう。そこで、寺院に付加価値を付ける必要があります。その一つが、老人介護事業への進出であります,
@幼稚園・保育園を経営している寺院の、少子化対策にならないか。老人介護施設を併設することによって、活性化することが出来るのではないでしょうか。
A社会福祉法人『立正福祉会』の定款を変更するとか、新しく杜会福祉法人を設立して、「日蓮宗病院」を開設できないか。
 以上の2点は、岩間宗務総長が求められている、新しい財源の一つにもなるだろう。
 社会性の無い寺院は、世間から廃れるとの危機意識を持つ必要があると思います。各寺院が地域性を加味して、社会との接点を求めるよう努力してゆきましょう。
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