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日蓮宗新聞 平成24年11月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
97 
 悲 嘆 22

悲しみを 乗り越えて…

 『上野殿後家尼御前御書』(弘安三年子一二八〇年の九月六曰、曰蓮聖人五十九歳、於身延)は死別の悲嘆について綴られた代表的な消息文の一つ。母の悲しみに向き合う曰蓮聖人の深いお心を拝しましょう。
 尼(上野尼・母尼・後家尼)は現在の富士宮市、駿河上野郷を領有し、上野氏とも呼ばれていた南条兵衛[ひょうえ]七郎の妻。夫は壮年の齢で病死、このとき妻は懐妊中でした。やがて生れた「七郎五郎」と兄の時光らを形見として育て上げますが、七郎五郎は十六歳の若さで急逝。曰蓮聖人は突然の訃報に驚愕します。この年の六月十五曰御草庵で面会し、男らしい肝のすわった好青年だという印象を受けたばかり。
 「時にあたりてゆめかまぼろしか、いまだわきまへがたく候。まして母のいかんがなげかれ侯らむ」(いとをしきてこご(子)しかもをのこご(男子)みめかたちも人にすぐれ、心もかいがいしくみへしかば、よその人々もすずしくこそみ侯しに、あやなくつぼめる花の風にしぼみ、満月のにわかに失(うせ)たるがごとくこそをぼすらめ、まことともをぼえ侯はねば、かきつけるそらもをぼえ侯はず」と。この書状は比較的短く、あまりのいたわしさに筆を進めることが叶わなかったご様子。追伸は「あわれなり(痛わしいこと)あわれなり」と結ばれています。ぜひ一度全文を拝読していただきたいものです。
 歴史学者・元一橋大学学長の故上原専禄氏は、夫人を亡くしたことを契機に、曰蓮聖人の思想を深く探求し、『死者・生者−曰蓮認識への発想と視点』の著書があります。『清貧の思想』で知られる作家の故中野孝次氏は「曰蓮の人間像」と題した所論で、曰蓮聖人が悲嘆に寄せた態様について上原氏が述べたくだりを引用しています。
 「曰蓮は自分の檀越の死にあって手紙を出す時は、ほとんど例外なしに、人生というものは本来無常なものだから、いつまでも嘆きのなかに沈んでいないで、亡くなった人の菩提を弔うがよろしいというようなことをいいそうだけれども、そんなことをそっけなくいったことはない。少なくとも死んだ人間を悼むことに対して、曰蓮は、その近親者の気持ちのなかに入り込んで、悲しくてとてもお悔やみすることはできないという立場に立つので、少しも説教めいたことはいわないんです。曰蓮のだくさんの手紙を読むと、曰蓮は近親者を失った人に対して、早く悲しみをこえるようにということは教えないで、一緒に悲しんで、もっと悲しめ、もっと悲しめ、といっている。そういう曰蓮の手紙を読むと、不思議なもんで、非常に気持ちは落ちつきます…」
 中野氏はさらに「上原氏は自らの体験からそう言っているのであるが、これは日蓮の死者を悼む手紙、とくにこの南条七郎五郎の死を悼む手紙にあてはまる。これ以上にこの手紙の性質についての適切な認識はない。実際にそのとおりであって、日蓮は七郎五郎の母や兄とともに、ひたすら死んでしまってもういないことの悲しみにくれているのである。上原氏は“そういう日蓮の手紙を読むと、不思議なもんで、非常に気持は落ち着く”というが、これは氏の実感であろうし、おそらくはまた南条氏の家族にとってもそうだったであろう。人間への日蓮の共苦共感能力、あるいは愛の深さは、こういうところに最も深く現れていると思われるのである」としています。
 「亡くなった人の菩提を弔うがよろしいというようなことをいいそうだけれどもそんなことをそっけなくいったことはない」はこの一書をみる限りまさに上原氏の指摘の通りです。しかし、この後に続く母尼への書状はお題目による死者、生者ともどもに救われる道すじを示されています。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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