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日蓮宗新聞 平成24年12月20日号
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藤塚 義誠
98(最終回) 
 悲 嘆 23

死は別れであり、始まり 絆が失せることはない

 前回は悲嘆の代表的御消息(書簡)、『上野殿後家尼御前御返事』により、子を亡くした母とともに悲しみ涙する日蓮聖人のお心を拝しました。同じ年、弘安三年十月二十日付の四十九日の御消息では、母としてわが子がかわいい、恋しいと思われるなら、南無妙法蓮華経と唱え亡き夫や子と一つ所に生まれるように願われなさいとすすめられます。一つ所とは釈迦仏の霊山浄土[りょうぜんじょうど]です。
 年明けて弘安四年の正月十三日付、『上野尼御前御返事』では、この子に荷[にな]われて墓地へ行くのだ、わが亡きあとのことは心に深く定めていたのに、母を残し先に逝ってしまわれた、夢ならさめてほしい、幻なら消えてほしい。
 もしわが子が大地の底にいると聞けば、どうして地をも掘らずにおれようと思われることでしょうと記され、「南無妙法蓮華経と申す女人のをもう子にあわずという事なしととかれて候ぞ。いそぎくつとめさせ給えく」と結ばれています。
 同じ年の十二月八日付、『上野殿母尼御前御返事』は、春以来の病によりあちこちへご返事もおろそかにしているが、遠からずして臨終を迎えたなら五郎殿に母の嘆きを伝えましょうといたわり慰めておられます。
 故増谷文雄氏(宗教学)は『宗教者の書簡』の中で、日蓮聖人の思想と信仰の秘密をとく鍵はその書簡にあり、それがかぐわしい香気をはなっていると気づいてからは、好んでこの人の書簡をひもとき、日蓮に対する印象が一変したと述べ、「母尼を慰めて『わたしももうながくはないだろうから、きっと、母より先に五郎殿に会えるだろう。その時には、母のなげきをよく申し伝えておきますぞ』という。なんと人の心を揺り動かす文章をかく人ではないかと思うことである」と記述しています。日蓮聖人はこの書をしたためて十ヵ月後の、弘安五年十月十三日武蔵国池上の地で入滅されました。
 死は別れであるとともに始まり。死によって夫婦や親子の絆が失せることはありません。残りし者は亡き人との新たなかかわりをつくり始めるのです。その過程に葬儀をはじめ一連の供養があり、心に区切りをつけながら、悲しみや嘆きを昇華し、日常の暮しに立ち戻っていきます。
 死者と生者の交接・交流には「時」と「場」があります。時は初七日、四十九日、百ヵ日、彼岸、お盆、月々の命日、年々の忌日など。場は寺の本堂、また仏壇や墓地などです。研究者は「儀礼や仏壇、墓の存在はグリーフワークにとって重要な文化装置」と解説します。
 信仰者でも時に大切な人を失って、神仏に対して、なぜ私がこのような悲しみを受けるのかと、怨みの感情を抱くことがあります。しかし、多くは宗教を持たない人より悲しみを見定める観点が得られ、またその死にも意味を見出すことができます。亡き人の居場所が定まることで、残された側はおのずと悲しみを癒します。人は人を送り出し、行くべきところがあります。葬儀がなければ四十九日も新盆もありません。真の救いは得られるのでしょうか。悲嘆から回復する手立てはどうなるのでしょうか。
 「いかにもいかにも追善供養を心のおよぶほどはげみ給うべし」(『上野殿後家尼御前御返事』)とは母尼が夫であり、また七郎五郎の父、南条兵衛七郎を亡くした折に日蓮聖人がかけられたおことばです。
 佐渡の千日尼へは法華経を糧となして「霊山浄土へまいらせ給いてみまいらせ給うべし」と夫の阿仏房と再会することをすすめておられます。『持妙尼御前御返事』では「お題目を唱えまいらせてまいらせ」と。私たちはお題目の功徳をもって亡き人の安らぎ(成仏)を願い、来るべき再会を期して、悲しみの中にあって生きる力をいただくことができるのです。
 (今回をもって本欄の担当を終了します。ありがとうございました。)
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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